何か書けたら書いてます

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『終わりのない』の、終わりのない感想

11月半ば、『終わりのない』という舞台を見ました。

 

わたしにとってはこれで山田裕貴くんの生の演技を初めて観ることが出来る、肌で感じることが出来るって楽しみにしてたもので。

裕貴くんは映像メインだから、舞台は3年前の武蔵以来だったので(下北で落語やってたけどあれはノーカンとして)珍しいと思うし、ほぼ出ずっぱりの所謂主演でした。

 

 

いや〜〜〜〜〜!本当に観てよかった!!

 

 

わたしは板の上の表面だけじゃない、立体的に何かを考えさせられるようなものを見せてくれるだろうと観る前から思ってたし裕貴くんに対してのハードルは上がってた。あの山田裕貴だよ?見た後に何も残らないなんて微塵も思ってなかったし、観終わったあと言葉にならないような特大感情を植え付けられる覚悟もしていた。でも、わたしが思ってたそれよりも彼はもっともっと先にいた。簡単に言うと『天才』なのかもしれないけど、天才って言うだけなのもなんか…もっとハマる言葉ないの!?って思うし、行くあてはないけど動いてないと気が済まない、ただそこで足踏みしたくなるほどもだもだしている。言語化できない!

以下この舞台を観た個人の勝手な考えと感想になります。ごちゃごちゃしていて読みにくいです。

 

 

この舞台、量子論多世界解釈?哲学?って何?と疑問符だらけで一回観ただけじゃわたしには分からなくて、『すごいものを観たんだ』って感じだったのでただ呆然だったんだけど、繰り返し観ると最初のコレはああだったんじゃ?と思うようになり、完全に理解できたわけじゃないけど途中から心が暴れだしそうになった。個人的大好きな映画『ヒミズ』のラストシーンの住田頑張れー!の感情に近いかも。

 

蓋を開ければ哲学やらなんやらって言葉が出てきて難しそうに感じるだけで、一個人でありみんなの物語だった。悠理もダンも杏もみんな、人間も機械も関係なくみんな。

 

悠理は碌でもない人間だと思っていても、誰かにとってはかけがえのない大事な人だし、愛情を受け入れることができるのに、身体が成長するにつれて、受け入れられなくなってしまった。もっと自分は取るに足らない存在だと知れと父親が言うんですけど、お前は特別じゃない、お前は親の愛を無条件で受け入れる資格があるんだぞって言ってるような気がした。

10歳になり反抗期に入った悠理を放任して、当の悠理はだんだん引きこもって自ら心を閉ざしてしまう。昔はそれでよかったけど、大人になるにつれ人や親と親しすぎるのは恥ずかしい、なんか気持ち悪い。そんな感情が生まれて、どう接していいのか分からないからこうなってしまった。

 

もうここら辺わたし、わたしなんだわ…。悠理って一人っ子だから余計に人との接し方が分からなかったんだと思う。一人っ子は歳の近い身近な人、家族がいません。だから喧嘩の仕方も分からない。幼馴染のリサとハルキは居れども他人だからどこか遠慮が入る。とにかくどうすればいいか分からないから何も出来ないんだよね、わかる…。人と接しにいくより一人でゲームしてる方が楽だもの。

だから序盤すごく怖かった。初見は観ることに対して緊張して息ができないほど苦しかったので余計に怖かった。

悠理はわたしだと思ったが、流石に避妊なしでやって相手が流産してほっとするようなクズではない。あれも人生の中でのひとつの『過ち』なんだろうけど流石に重い…。たまに入った回で『はい、クズです。』で笑い声がしたけどあんなん笑えねえ。

 

両親が離婚、幼馴染は地元を離れて悠理は一人暮らしをしろと唐突に言われて悠理はそこでやっと孤独を実感したのかな?半ば自暴自棄状態のまま海に入り溺れてしまう。

そこから宇宙を通した無意識の旅が始まる…、、ってところでちょっとわたしの気分は落ち着いた。いや、めっちゃ苦しかった…。一人で閉じこもることを選ぶことと、孤独になることは違うんだよね。閉じこもることを選べるってことはそこには閉じこもることを許す人がいるってこと。無理矢理外に出そうと思えば出せるのに…。と思ったので。だから悠理をキャンプへ連れ出したということはいよいよ『閉じこもることは許さない』と宣告されるということだ、って直感的に思ってしまった。

 

逃げた先は1000年以上も先の宇宙船の中。そこにはユーリのクローンを作って再生を試みている3人の人間と1体のAIがいた。ユーリと同じ体の悠理の意識がそこに入ったことで、AIダンは悠理に興味を持つように。

 

ダンさん、めっちゃ好きです。動きがもう完全に機械で、無駄な動きが一切ない。でもわからないことはわかりませんとはっきり言うしあのダサいポーズは一緒にする。可愛い。

 

ここは悠理は9歳のときに事故で亡くなっていて、地球が滅んだ世界。人類は孤独で住む星を求めて旅の途中。父親の願いは届かなかったのか…と切なくなる。そもそも悠理が9歳で死んでいるので当時の両親を思うと既にしんどい。

 

ここで出てくる惑星探索のメンバーは、元いる世界の悠理が『過ち』のせいで失ってしまった人間関係なんですね…。そんな3人が『死んだ人間を生き返らせようとしている』という『過ち』を犯している。でもそのぐらい彼らにとってユーリは大事な存在で、必要としている。21世紀のノリ?でガヤガヤしてた悠理のことを元気いっぱいって言ってたのは面白かったです。例えバグでも可愛いんだ。

 

何回か観ているうちにここでのアンの態度が気になった。これ、もしかしてアンの中に杏がいます?悠理への嫌悪感物凄いし、ダンさんの『次のユーリを起こしますか?』にすぐ反応していたし。杏のことも考えてたらもうわけわかんなくなりそうで一旦置いてます。難しいことは分からないよ…。

 

結局実験は失敗として、悠理を宇宙空間へ放り出すけど、ダンさんは何やら悠理に強い興味があるようで。また呼ばれることになります。

 

 

宇宙空間に放出され、意識だけで漂っていた悠理が目を覚ますと、別次元の地球によく似た星のイプノスの島で目覚める。

 

ここ、めっちゃ自由じゃないですか!?びっくりした。イプノス人は無意識で生きているため無意識に歩いているからか、どの公演でも全然違う動きしてた気がする………。日暮は最初どうやってイプノス人と意思疎通をしたんだろう…。

この星が子供だから、ここの人類も子供。頭の中に神様を飼っていて、その神様と無意識のうちに会話をしている?それが閃き?それは子供特有のもので、大人になるにつれ失われていく?いや、信じなくなるのかな。じわじわと分かるようでまだ分からない、そんな感じです。

ここの星は地球にそっくりだ!と日暮は言う。そっくりというか、そのものかもしれない。ホワイトホールを抜けた先にある、別次元の地球なのかも…。島にいたイプノス人は悠理の見知った顔ばかり。悠理がここに漂着した経緯を話したところ、真っ先に『生きててよかった』と言うのは父親と同じ顔をしたイプノス人。

やっぱアンと同じで無意識に意識があるのかな…。その言葉にすごくほっとした。

イプノス人は悠理に食べ物をあげるんだけど、悠理が断った後の行動が色々で面白かった。

わたしが確認できた行動は、

①捨てる

②自分たちで食べる

③悠理に向かって投げる

④捨てたら悠理が拾って食べた

です。

④はマジで即興だと思う。よくやるね…笑

 

日暮は自分の意志を悠理に託すんだけど、これはきっと、夢にまで見た自分以外の地球人が来た奇跡の他に、悠理の『信じて貰えないかもしれないけど、諦めずに懸命に伝えようとする心』があったからだと思う。漂流してからの悠理は自分の意志を伝えようとしたり、ここにいる!と叫んだり、熱いんですよね。

 

おれはシーフナスの王子、ユーリだ!!って所から雷落ちたぐらい空気が変わる。王子としてイプノス人を説得していくのだけど、声色と雰囲気がマジで王子。王子が降りてきてる降りてきてる。この変わりようを見て、あぁ〜山田裕貴、好き〜〜って己の中のオタクが降りてきた(降りてくるな)

で、ここでユーリ…と呟きながらイプノス人は逃げていくのだけど、個々に名前を言いながら…な回だったり、明らかに歌ってませんか?って感じの回があったりでほんとこの場面自由。何気に1番好きな場面だったりする。

自信がついてきたのか、頼もしく見える…けどただの閃きなので王子でもなんでもなく。たとえ本当に王子だとしても無意識で頭の中の神様に従う野蛮な連中には王子なんて関係ないだろう。

悠理は『怖いと笑っちゃう』って言うんだけど、確かに暗転直後、笑ってた!笑ってたよ! 不思議と怖くないと言いつつ、心のどこかでは恐怖はある。

 

次に悠理が目覚めると、元いた世界に非常に良く似た、でも明らかに違う世界にいた。

 

すごい、悠理にとって幸せな世界。ボクシングで優秀な成績を残し、何より杏と円満。杏にとっても幸せな世界。違和感は、母親の選んだ釣竿の色が元いた世界と違うこと。そして宇宙船にあった銀の筒を取り出すこと。

悠理にとっては異常な世界。流石に産まれたての顔になっちゃう。悠理の意識は産まれたばっかりなので…。

別世界の未来、別次元と渡ってきた悠理は別世界の母親に量子論多世界解釈の話を持ち出す。

 

ここで書いてて思ったんですが、もしかして宇宙船の世界とこの世界繋がってる?時代が違うだけ?だからあの銀の筒が時間に関与してるのかな?と思ったけど宇宙船の世界じゃ悠理もう死んでた。答えが分からない!だって、悠理が叫んだ瞬間あの宇宙船に戻るもの。クローン11体目の実験まで進んでるし。

 

悠理は宇宙空間を通して彼らの目的を知っていた。知らないはずなのに知っていた。ダンさんの興味はますます尽きない。

 

『気付いていることに気付かないだけ』

 

これって真理かもしれない、わざと気付こうとしないものもあれば本当に気付いていないもの。『閃き』は後者?前者は『心を閉ざすこと』?

それに全部気付いてしまうと、それはもうAIと同じ?ハテナが多い。

ダンさんは人類の神の宿り先、右脳に触れた瞬間、現代の、悠理が帰るべき世界に干渉してしまう。

そこからのダンさん、思い出しただけでも泣けてしまう…。自分の生みの親は悠理の母親でもある。人類や動物はもちろん、機械でさえも作った『親』がいる。機械であろうとも、親を初めて目にして、声をかけられてしまっては…。

そして『いい世界ですねぇ…』って言い方、もはや人。どんどん『個』の人格を宿していくダンさん。

個であり全であるAIがひとつ外れて個になってしまっては全体の不備になってしまうので個になったダンさんは消去されてしまう。それを怖いと感じ、それでも自分の、エゴを優先していくダンさん、もう人だよ…。

ダンさんは悠理を見送ったあと、自由を喜び、『マザー』に狂ってはいないと言い放ち、『死んだ人間を生き返らせようなんて、間違っています』と正論を叩きつける。人、人です(しつこい)

悠理にもうここには来られないようにしますと言ったダンさんがとった行動が3人の行動を否定をすることだったのならば、きっとそれで3人は気付いていることを気付かないふりを、もうやめてくれると信じていたからなのかな…と思うと……ひ、人ry

ダンさんの肩を掴んでがっくりするゼンを見てると、やっぱり最初から間違いだと気付いていたのかなと思った。

 

眠りについた悠理は、現実に戻る前に日暮と会話をする。そのときの悠理、イプノスの島での威勢のいい悠理はどこに行ったん?ってぐらい弱々しい。世界はひとつじゃないことを伝えてくれと言われたのに、最初から自分が言っても信じてくれない無理だと諦めて閉じこもる。 

日暮は信じてくれないかもしれないけど懸命に伝えようとしてくれた、元の場所に帰りたいと、必死に生きようとする悠理を信じてくれたのに。いざ現実に戻ると怖くなるのか。現実の自分はクズだから、何を言っても無駄、自ら殻を破ることが怖いのか。一歩踏み出すことが怖いのか。

正直悠理の気持ちがめっちゃわかる。とても怖い。何かをやろうにもみんなに認めてもらえるのか、笑われないか、怖い。それでビビって閉じこもったことがある。踏み出してないから、まだ何も起きてないのに。

 

両親にできる!と背中を押されるとまた怖くなる、できない!引きこもっていた方が楽だ。でも、ずーっとそれをしててはいけないことに、もう気付いている。悠理は旅をして、それに気付かないふりをやめた。

 

現実に戻ってきた悠理が『まま…』って母親を呼んで抱きしめるんだけど、めっちゃ可愛い。ここ幼児です。あれ?18歳のはず…。まだ親離れが出来ていないんですよね。

意を決して幼馴染、そして母親、父親に日暮が伝えて欲しいこと、そして自分の思いをぶちまける。悠理が初めて、自ら殻を破った瞬間なのかも。

悠理が伝えたことで、また多世界が広がったと思う。もしかしたら父親が政治家になって世界を変えるかもしれない、母親の量子コンピュータの開発で未来のダンさんに変化が起きるかもしれない。

このときの悠理、めちゃくちゃ怖かったと思う。涙声で必死に伝えてたけど、このときのみんなは真剣に聞いてくれてたと思うし、嬉しかったんじゃないかな…。杏と連絡するのはやめておく、って言ったのももう杏とは会わない決意をしたんだろう。

 

悠理独り立ちの瞬間、母親が声をかけようとしたところで父親が止めて去っていくんですよね。めちゃくちゃしんどい。母親は愛ゆえに悠理を受け止めようとしてたし、父親は愛ゆえにあえて1人にして見届けようとしてくれているんか…と思ってしまった。

 

悠理の両親、終始ずっと悠理を1番に優先してたし、愛してたし、甘やかしていた。たった1人の息子で1度死にかけているのだから尚更愛情深く育てられてる。唯一怒ったのは杏を傷付けたときぐらい。それでも優しいよね…。優しすぎるおかげで、他人との距離や接し方が分からなくなって臆病になってしまった。

他人との距離が独特になっちゃうの、一人っ子あるあるだと思ってます。やっぱり悠理ってわたしだ…。

 

両親、幼馴染、みんな離れていって、悠理は尋常じゃなく泣き叫ぶ。 

 

ハッ、これ、毎回やってたんだよね?めちゃくちゃ気力も体力も使うよね!?日によっては2回もやってたんだよね!?ヒェ〜〜!!

 

ってぐらい、会場揺れるかと思うぐらい、凄かった〜!山田裕貴、凄い〜!!って感じだったので、初見は貰い泣くとかそんな感じじゃなかった。正直なんで泣き叫んでたのかも分からなかったので…。

数回見ていくうちに、なんとなくこうかなと掴めた気がする。すると気付いたら貰い泣きするようになってしまった。ここの解釈は色々な人に聞いても千差万別の解釈なので、これはもう感じるままに思えばいいのだと思います。結局分からないでもいいんじゃないかなと。

個人的には、悠理は両親の愛に、いまやっと気付かないふりをしていたことに気付いて、でも今からは独りで生きていかなくちゃいけない。新しい自分に生まれ変わった瞬間の産声?なのかなと。今まで両親がいて、安全なところに閉じこもってたのにいきなり外にポンと1人にされたら、怖い、怖すぎると思う。そんな恐怖も背負ってこれから生きていく。

 

『1人で立てるか?』

『自分で歩ける?』

 

両親に声をかけられるんですよね。そして周りから『立て!』『歩け!』と鼓舞される。

それも全部、愛情なんですよね。だから、悠理の言葉は『ありがとう』なんだ。全部気付いて、全部受け止めて生きていこうとする悠理、抱きしめたい…………… 母親もそんな気持ちだったんでしょうか。

 

これは僕の、人類の物語だ。

終わりのない…。

 

幕は閉じ、カーテンコール。何故かカテコで号泣しちゃってもうダメでした。カテコで悠理を生ききった裕貴くんを見ると何故かものすごく安心して泣いちゃう。拍手して泣きながらありがとう、ありがとう…ってつぶやくわたし、めっちゃ怪しい…。東京楽のスタオベ3回目まで立てなくて草。兵庫ではなんとか立てました。

 

観終わってからちょこちょこ思い起こす。一人っ子で、親からの愛情を受けて育ってきた身なので、悠理を通して考えさせられることが多かった。たくさん愛されてたとしても、そこから自分で立つことを忘れてはいけない。享受だけして、いつまでも甘えてはいけない。親になったことがないので親の気持ちは分からないけど、親だって子供に愛情を注ぐことで子供に甘えていた、ってことがあるかもしれない。描写はされてないけど、悠理が9歳で死んでいた世界の両親は酷く哀しんでいたと思う。

いまを必死で頑張っている人たちは1人で立てた人たち。まだ立てなくてもがいてる人たち、自分を救えるのは自分だと気付いている人たち。わたしはまだまだ子供かもしれない…。

 

わたしにとって『終わりのない』は、親と子、愛情の話でした。

 

そんな話を裕貴くんが生きたことにより、観ることが出来て本当によかったです。 

自分がいることで少しでもセカイが変わるような人間になりたいと言っていた裕貴くんにとって本当にぴったりな題材だったと思います、前川さんは本当にすごい。 

どんな些細なことでも伝えることで、これから先の世界が生まれていくのだから。

 

悠理、頑張れー!わたし、頑張れー!と走り出したくなりそうな舞台でした。

 

 

 

ちなみに1番面白かった場面は悠理がクーラーボックスに向かって吐いて『何故そこを選んだ!?』です。残りの新潟、宮崎も無事に上演出来ますように。

 


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