何か書けたら書いてます

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渇きを感じる人が好き

わたし散々「推しくんの演技が好き〜」とか書きながらどういう演技かちゃんと書いてなかった気がするので書こうと思います。なんせ特急列車からの新幹線で大移動中なので暇なんですね!*1絶好のブログチャンス!内容の取っ散らかりはすごいと思います。

 

山田裕貴くんの演技なんですけど、わたしは彼の演技を見ていると率直に渇きを感じるなと思いました。本人からはあの見る人みんな幸せにするような笑顔だったり振る舞いだったり、あたたかな陽を感じるんですけど、役を通して見るとどこか陰を感じる。寂しそうに見える時がある。光が強ければ影も強くなるみたいなそんな表裏一体を感じる。わたしはそんな『影』が好き。

最初に『渇きを感じる』と書きましたが、そんな渇きを特に強く感じた役が安藤忠臣山本裕二です。わたしは前回一番好きな役が決められないと書きました。強いて挙げろというなら多分この二人を挙げると思います。また二人挙げてんじゃんね。理由は何度も書きますが渇きを感じるからです。以下、わたしの主観から感じたことなのでひとつの解釈だと思ってくれたらと思います。

とりあえず恒例の予告を貼っておきます。


山田裕貴主演作!映画『闇金ドッグス』予告編 - YouTube

 


映画『あゝ、荒野』予告 - YouTube

 

渇きを感じるとは?

↑このでかい文字で項目みたいに作るの憧れだったので使ってみました。

わたしの思う渇きは『渇望』です。

かつぼう
【渇望】
《名・ス他》のどのかわいた人が水をほしがるように、心から願望すること。待ちこがれること。 「―をいやす」

心から欲しいもの、欲しくてたまらないもののために手を伸ばす、行動する。そんな貪欲さと切なさを魅せるのがとても上手いなと思います。忠臣と裕二は特にこの渇きが見ていて自分の身体に染み付くんじゃないかってぐらい強く印象に残りました。

忠臣と裕二って、求めていたものが同じ承認欲求なんですよね。忠臣は兄貴に、裕二は新次や劉輝先輩に自分を認めてもらいたかった。そして最初は二人共格下と周りから舐められていたり、見向きもされていなかったりで承認欲求どころかプライドも傷付けられていたり?していたかもしれない。そして最終的に忠臣も裕二もその承認欲求を求めていた対象に手をかけます。

忠臣は何も知らないぽっと出の奴に兄貴を取られたくない一心だったし、裕二は現状からの『脱却』も込めての襲撃なのかもしれない。理由は違えど、その行動に移る理由が突発的ではないし「彼はこう感じたからこの行動に出たんだな」と観ている側も納得させる根拠が説明されていなくてもわかる。だから置いていかれることもなくついて行ってしまう。だから彼の出す渇きに引きずり込まれてしまう。あと目の力がすごい。普段から目力があるんですが(裕貴くんの画像見せたら目が怖いって言われる)その同じ目力でも違う感情が乗っているというか、乗せ方がうまい。普段の強いきらめきを持つ目力が役によって光を失くすときは体温が下がったようにも感じるし、弱々しい目になり涙を流すときは胸を掻き乱されるし美しい。

そして『生きることに真摯』だなと感じる。適当に生きてない。明確な意志を持って生きているというか。忠臣ってまさに生存本能が強いというか、生い立ちが生い立ちなのでそうならざるを得ないのかもしれないけれどもそれでも生きることを諦めたことはなさそう。生にしがみつくのではなく、生き抜く意志が強い。 裕二も家庭を背負っているし、認められたいと思っていた少年の時代を経て守るものが出来、青年になったんですよね。そのためにも生活をしている。その生きる過程を覗かせてもらっている気持ちになっちゃうので、たまにドキュメンタリー見てる気分になります。

推しくん本人も『父に認めてもらいたかった』と発言していたり、俳優を目指した理由のひとつにも『テレビに出る回数なら父を超えられるかもしれない』というものだったりと父への承認欲求を持っていたのかもしれないです。わたしは推し本人ではないので、これは憶測にすぎませんがこのエピソードを通して彼も承認欲求をしっかり持っているし貪欲さも持っている、雲の上の存在と感じたけどとても人間らしい人だなと感じました。その本人の想いもあってか、忠臣や裕二のように『渇きを感じる』役だったり、『生きることに対して真摯』な役がとてもハマる。演技している俳優も人間なので、生き方が出るじゃないですか。その生き方すらも消して、完全に自分を消すタイプの俳優さんもいらっしゃると思います。でも裕貴くんはきっと生き方が出るタイプの俳優さんだと思います。だから演じるのではなくその人の人生を生きる、役を生きるって言葉がめちゃくちゃ合ってる。

役と本人を重ねるのはあんまり良くはないかもしれませんが、闇金ドッグス1作目で借金返済がままならずどんどん疲弊していく姿や、あゝ、荒野の新次と裕二の試合で裕二が新次の憎悪に飲まれてぐちゃぐちゃになっていく姿なんて、最初は観ていられなかったです。途中から本人の渇望と叫びを聞いているみたいで、観ていられなかったけどちゃんと観なきゃという矛盾した感情も生まれました。生きた姿から目を逸らすなと言われているみたいで、もはや『逸らすものか』と見えない相手に反抗していました。向こうがひたすら真摯だからこそ、こちらも真摯に受け止めたいと自然と思ったのかもしれない。

 

何かを追い求めていて、それを強く強く欲している人に魅力を感じます。例えそれを手に入れたとしても、また更に高みを、深みを求めていくと思うのです。だからきっと死ぬまでそれが続いて、死ぬまでそうして生き抜いていくんじゃないかということさえ思ってしまいます。推しくんの夢『死んだらニュースになる俳優になること』だからね、死ぬまでわからないし本人死んでるから叶ったかわからないんですよ。そして叶ったかどうか確かめるには推しくんより長生きしなきゃいけない。おう、推しに生かされてるぜ。

 

わたしはそこまで渇望しているものがない人間なのでその境地に達している人を見るとそこまで追い求められるものがあるなんて羨ましいなと思う反面、生きるのが大変そうだなあとも見ていて思います。でもそんな『自分とは違う人間』だからこそ惹かれるのではと推しくんを見ながら思うのです。日常生活で何をするにも何が俳優としての武器になるかとかこの感情は使えるとか思って生活している推しくん、本当に俳優が好きなんだろうなと思うし使命だと思っているのかなとも思う。周りから評価されたとしても感謝の言葉を述べつつこれが足りない、まだ足りないと冷静に分析する本人を見てても役で感じたまんま『渇きを感じる』し、『生きることに対して真摯』。つまり好き。あとそんな危うい雰囲気からは色気を感じるので好き。太陽に見えて月なところ好き。逆も良い。渇きを感じているといっても、満たされていないわけではないと思う。常に渇いていたら寧ろ余裕なくなっちゃいそう。

 

推しくんの好きなところがもうひとつあって、その渇望を隠さないことです。観てほしいものは観て欲しい、大変なものは大変です、羨ましいと思うものは羨ましいと言うんですよ。ただマイナスすぎることすら全世界が見れるところでぶちまけるのはちょっと待てと思いますし、いいところや悪いところという観点ではなくただ『推しくんだなあ』と思うポイントです。

 

ここで思うのが、じゃあそんな彼が『自分の命を軽く思っている役』をやったらどんな演技をするのだろうということです。控訴取消しの刈谷くんとかは近いかなと思ったりしましたが彼は寧ろ最期まで真剣に生きたし寧ろわたしの好きな『渇きを感じた』役でまた違うし、逆に他人の命を軽く思ってそうな役はチラホラ見たりするのですが(玲夢くんとか)例えば自殺願望のある子だったり、何のために生きてんのか分かんねえしこれからは適当に生きて適当に死ぬわ!みたいな生きることに対して軽薄だったりするような役が見てみたい。もしそういうのやってたら御一報ください。

 忠臣と裕二が好きとか書いたら自覚症状が出てきたのか、個々で記事書きたくなってきました。書きたくなってきたばっかりやんけと自分でも思います。なんとか文にしたい。

 

 

 

 

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*1:旅行に行きました