何か書けたら書いてます

何か書けたら書いてます

後悔した話と今の話

 

 

10月17日、相棒の新作が放送されていた。反町隆史さんが相棒役を続投していた。

中盤で回想に甲斐享が映った。わたしは甲斐享を演じていた成宮寛貴くんのことが約10年ほど大好きだった。

この記事は彼の話とわたしの心境になります。

 

 

 

まず、引退したのにこうやって回想でもガッツリ映ることに驚いた。前シーズンの相棒でも出てきたりしていたが、その度に驚いた。

引退したら基本的に本人から許可を取らないと映像は使用出来ないと思う。そこら辺は詳しくないので憶測だけれども…。この考えの通りならば、彼は映像を出してもいいよと許可を出している。彼は「成宮寛貴」を殺したわけじゃないのかなと感じた。わたしはそれだけでも号泣してしまうぐらい嬉しい。

 

わたしの知る限りの彼は、俳優としての「成宮寛貴」と、「彼自身」をハッキリと分けて生きていた。表に出ている際は決して「彼自身」を見せず、表用の姿でいた。あっけらかんとしていて爽やかで礼儀正しく、大人と子供の狭間で揺らいでいるような少し危険な色気も感じる素敵なお兄さんだった。

そんな彼から「俺の内面には絶対に近付くな」というオーラを感じていた。暴かれたくないものは誰にだってあると思う。それは表に出る職業をしていても同じで、同じ人間なのだから当たり前だと思う。だから詮索なんてしたくなかったし、興味もなかったです。

周りの評価で、「彼は私生活が謎めいている」「噂がたくさんある」「でも不思議とプライベートを撮られない」という声を聞いた。

常にバリアを張って、周りと自分の思う「成宮寛貴」を生きていたのだと思う。わたし自身も俳優としての彼が好きで、それ以上でも以下でもなかった。演技が見れたらそれで良かった。

 

でも、ある日突然それが破られてしまった。

唐突に週刊誌に記事が載り、唐突に訴訟沙汰になろうとし、唐突に引退した。この出来事はわずか一週間ぐらいで起こったと記憶している。本当に突然だった。

何が起こったのかがわからなかった。

でも「わたしの大好きな彼はもうこの世にはいない」という事実がじわじわとわたしの心を襲い、わたしの生き甲斐を取られてしまったのだと感じた頃には一生分の涙が出たんじゃないのか、もう涙腺は枯れたんじゃないのかと思うほど泣いたと思う。

(お恥ずかしいことですが、わたしは盲目的な程に好きだったので他に好きな俳優さんはいたけれど、それでは全く心を埋められず、一時期ドラマを見ても彼ではない俳優さんが演技をしているのを見ることすら嫌になっていました。こんなに重い気持ちを持っていたんだなあと彼を失って初めて気付きました)

 

いや、このような書き方では彼は死んだような表現になってしまってますが、本人は生きているんですよ。インスタも元気にやってますよ。可愛いですよ。インスタグラムの中での彼は、幸せそうにしているしそれを見て癒されています。でも、「俳優の成宮寛貴」はもういない。死にました(表現が過激になってしまいましたが、わたしにはそう感じました)先述の通り、わたしは私生活で何やってようがどんな性格をしていようがそんなことなどどうでもよかった。わたしの推しスタンスは徹底して内面や私生活を探らないし関心を持たない主義というわけではないし、実際内面も綺麗な人なんだろうなと思ったりもする。成宮くんも過去の経歴からするとすごく努力家で家族想いなんだろうなと思う。しかし成宮くんに惹かれて推していた理由はそれではなく、やはり演技であり俳優としての在り方だった。プライドと期待を背負った彼の姿。フレンドリーそうな雰囲気をしていながら誰も信用していなさそうな危うい雰囲気。ギラギラした目。それを見せてくれていた彼がいなくなってしまったのだ。だから悲しいし悔しい。

 

引退表明文は未だにトラウマである。読むことは出来る。けど、これを書いている時の彼を想像するとわたしも耐えられなくなる。彼が守ってきたものを壊されそうになったから、こんなことで壊されるぐらいなら自分から去る選択をしたのかなとまた勝手に妄想してしまう。記事の通りのことを実際にやっているかやっていないか。やっていたとしたらきちんと裁かれるべきだし、やっていないのなら…それこそやりきれない。結局これは真相がわからないままで(検査をしたら陰性だったけども)素人の自分が考えても野暮な話。

 

でも、自ら去る選択をしたということは、成宮寛貴に関わる人たちを守ったことになるとわたしは思った。過去作品が今も配信されているし見ることができる。相棒に回想として出ている。これができているのは彼がその選択をしたからだと思うし、未だに「成宮くんがいなくなって心に穴が空いている」「戻ってきて欲しい」と切望されているのも彼が今まで俳優として生きてきて、愛されていたことの証拠だと思う。何も残せていなかったら、極端な話だけれど「そんな俳優がいたの知らなかった」「知らないからどうでもいい」で終わっていたと思う。少し話題になって後はサラッと忘れられていくのだと思う。知られていないことは残酷だ。

引退してもうすぐ二年経つのに、定期的に彼の話題が挙がり好きだったという言葉を見ると嬉しくなる。時が経っても彼の功績は大衆の心の中に残り続けている。もちろんわたしの心の中にも深く深く残っている。

 

 

わたしは今、山田裕貴くんという俳優を追いかけています(このブログのトップにも書いているし、もしこの記事を読んでいる方がいらしたら、過去文で彼の作品の感想や現場旅行も少しだけですが書いてるのでもしよかったら見てくださると嬉しいです)

 

そんな彼が、とある記事で挑戦してみたい役トップ3の中に成宮くんの役を挙げていた。

 

 
“どクレイジー”で型破りな配役を熱望!?山田裕貴が挑戦してみたい役柄BEST3 - ランキングBOX

 

この時わたしはとてもとても感動してしまった。裕貴くんの中にもしっかりと彼の生きた人物が生き続けているんだなと思うと嬉しい以外の感情が出てこなかった。そしてわたしも裕貴くんと同じように思った。「あずみ」での成宮くんは、何が何でも立ち上がってやる、一見仲間を信じていなさそうな一匹狼だけど、実は心の中では仲間を思う気持ちを宿し熱い心を持っていた。そんな気迫をバリバリ感じたし、きっと成宮くんもそんな人なんじゃないのかなと思った。

裕貴くんの演技は「役を生きる」をモットーにしている通りの生命力を感じたし、そんな「演技に体温を感じる」タイプだからこそ惹かれたのかもしれない。成宮くんもそうだったから。

 

 

心に穴を空けたままではなく、新しく推しを見つけられたことは幸せなことだと思う。彼はあまりにも突然引退したため、事務所にメッセージを送ることも出来ない、送る手段もない、今まであまり好きという発信もしていなかった。そのことが引退して最も後悔した部分だ。

推しはいつ引退するかわからない。明日突然いなくなっているかもしれない。もしかしたらこれを書いている間に誰かが引退しているかもしれない。いくら推しが「生涯俳優」と宣言していても、こればかりはその時になってみないとわからない。

 

じゃあ、今自分に出来ることをしていくしかないんじゃないか。

それが成宮くんから教えられたことです。もうあんな後悔はしたくない。だから、今俳優として生きてくれている人たちに感謝しなければならない。彼らが俳優をしてくれている限り、彼らの俳優人生は終わりません。

ならわたしは、俳優をしてくれている間に感謝を、好きな気持ちを伝えようと決めました。もちろんあくまでこちらは見ず知らずの他人なのだから、礼儀を持って伝えることは忘れてはいけない。ネットでも、お手紙でも、気持ちを伝えられる手段があるのなら大変ありがたいことです。赤の他人なのに気持ちを伝えられるんですよ?これって結構すごいことだと思うんですよ。

わたしは趣味でイラスト描いて載せてたりするんですけど、それでフォロワーさんに好きですと言われた時、めちゃくちゃ嬉しいですもん。もっと頑張ろう、好きと言ってくれる人のために描いてみよう。そういう気持ちになります。

きっと俳優さんもそうじゃないかなと思う。好きな気持ちを伝えられて嬉しくない俳優なんてほとんどいないと思う。だから好きという気持ちは人を動かすと信じて、これからもお手紙を書いてリプを送り続ける。

 

 

俳優さんに限らず、誰か好きな人がいる方へ、伝えずに後で後悔なんて、本当にもったいないです。後悔して欲しくないです。だからもしこの記事を読んでくれた方の背中を少しでも、押すことが出来たら大変光栄です。

 

わたしも昔後悔した分、今を頑張ります。

読んでいただき、ありがとうございました。